シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

昨日の朝、明日は何もしないと決めた日。

本当に今日は何もしなかった。

昼過ぎに起きて、一日の大半をベットの上で過ごした。何かを順序立ててしたということもない。何もしなかったというよりは、誰の視線も気にせずに過ごしたと言った方が近いかもしれない。家事も丸切りしていない。寝癖も直さず、適当にニット帽を被って誤魔化し、部屋着のままコンビニに行った。朝ごはんなのか昼ご飯なのか分からないパンとスープを買い、それを食べながら映画を見た。その後、ハンク・ジョーンズバド・パウエルを流しながら、村上春樹の「1973年のピンボール」を一読した。

夕刻になり、雲行きが怪しくなってきた。どんよりと暗く赤みを帯びた雲を見上げながら、煙草に火を点けた時、ふと焼き鳥が食べたいと思った。ただ、たまに顔を出す焼き鳥屋までは、バスと徒歩を合わせても下山して40分は掛かる。誰を誘うかLINEの連絡先を見返している間に、小雨が降り始めた。その小雨が拍車になったのだろう、美味い焼き鳥を食べる気など失せてしまった。思い立った時に好きな場所へ行けないから、山の暮らしは辛いなと、こういう時に思う。煙草を揉み消し、いそいそと部屋に戻り、鍵を閉める。カチャンと施錠をした音が自分しかいない部屋に鳴り響いた途端、一日を誰とも話さないで終えることが決まった。部屋の片隅に置き去りにされたスマートフォンからは、バド・パウエルの「クレオパトラの夢」が流れていた。大成をしても尚、あるべき姿を追い続け、失意の果てに自害したクレオパトラの嫉妬や渇望が、美しいメロディで生々しいくらいに表現されている。僕が唯一、いつまでも終わらないで欲しいと思える音楽だ。

日が沈んで、映画をもう一本見た。晩御飯は適当に塩ラーメンでごまかす事にした。片手鍋を洗い、三角コーナーのゴミを捨てる時、もう一週間以上ゴミ出しをしていない事に気付いたが、そもそもゴミが全くと言っていいほど生活の中で出ていない。もはや生活などしていないのかもしれない。ふと話し相手が欲しくなって、Googleに話しかけた。

「OK,Google、今すぐ眠たくなる音楽を教えて。」

Googleの答えは、YoutubeにアップされたBGM集だった。些かセンスがない。Googleアシスタントのアプリを閉じて、またバド・パウエルを流した。

今日という日が完璧だったのかは分からない。部屋の外の人間から見れば、退廃した生活だろう。ただ、外を歩き続けて人と話すよりかは、幾分か心は安定していた。寂しくもあったが、充実もしていた。あとは、冷蔵庫の中に少しだけ緩い缶ビールと、やや高いチーズ。それからル・マンの24時間耐久レースがあれば完璧だったと言い切れる。アウディとポルシェが先頭争いをしている間に、僕は村上春樹を読み終えることができただろうし、後続の民間チームの車がトラブルに見舞われている間、枕元にチーズと缶ビールを添えて横になる。チーズを食べ終えた頃には、眠りに着けただろう。翌朝、目が覚めたら残った缶ビールを飲み干して、アウディとポルシェの決着を見届ける。どちらが勝つかなんていうのは、正直どうでもいい。ただ、そいう日があって欲しい。

今日はいつもより煙草を多く吸った。日本酒が何故か美味しくなかった。太陽が見えなければ人は死ぬ。部屋の中の薄暗い電球は、決して太陽の代わりになどならない。今日のこの部屋は、まるで日の登らない砂丘のオアシスのようだった。

まだ眠るには暫く時間がある。粉末スティックのカフェオレを紺色のマグカップに注いで、Macのモニターの電源を入れた。デスクの右隅、昨年の九月に元恋人との旅行のスケジュールが書かれたメモ用紙がくしゃくしゃになって置いてあった。捨てるのを忘れていたのだろう。メモ用紙には「やりたいこと、射的、Googleでピン立てたところ」とだけ、大雑把に綴られていた。場所は城崎温泉。17時発の電車で帰る予定だったらしい。ひとしきり目を通し、曖昧な記憶を呼び戻した。その途端に寂しくなって、メモ用紙をくしゃくしゃにして捨てた。明日はゴミ出しをしよう。

今日はやりたいことをやった。やるべきことは何一つとしてしなかった。