シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

蜉蝣(2)

今日がまだ終わらなかったので、ふたつめの日記をつけた。何故終わらなかったのか。夜勤のアルバイトがあったから。これさえ終われば、とりあえず地元で少しだけ羽を伸ばせる。3日くらい。いや、2日だったかもしれない。バイト前にお腹が空いて、昨日作った…

蜉蝣

今日はずっと追っかけている作家さんの画集を買いに行くために、いつもより早起きをした。出発の時間の1時間前に起きて、やかんに火をかけ、ベランダの手摺にもたれかかって煙草を吸った。ピッーっとお湯の沸いた音が、窓の隙間から春風に乗って隣街まで飛ん…

黒猫

「ずっと昔から一緒にいたみたいだね」 横を並んで歩きながら、静かに呟いた。少し雨に濡れた石畳の階段を歩く。水たまりに浮かんだ桜の花びらを、靴のつま先で触れながら、ゆっくり進む。 海辺の寂れた商店街を見下ろせるお寺の境内、赤い首輪をつけた黒猫…

普通

障がい者雇用施設での宿直のアルバイトを始めて半年が経った。 半年前は塾講師をしていたのだが、急にシフトの連絡が来なくなり、自然消滅というカタチで契約を破棄することになった。次のアルバイトを探すために市内の求人という求人を漁った。ただ、どの求…

ドアノブ

ここ一週間くらいの間は、イベント運営のためにあちらこちらを駆け回っていた。ようやっとの思いで仕事を片付け、水曜日の明け方に隣街の自宅まで帰った。一週間ぶりだ。早く風呂に入って寝てしまいたい。 冷たい鉄製の階段を上り、ドアを開けようとしたのだ…

犬(1)

犬がいる。 駅前から少しばかり歩いたスーパーの前に犬がいる。 薄汚れた犬。犬種は分からない。いつもたった1匹で座り込んでいる。 人が通ると決まってビクビクしている。 初めてその犬に会ったのは、駅前の居酒屋まで恋人を送った帰り道だ。冬の寒空の下、…

19時間前は木漏れ日の下、野鳥たちの囀る森の中にいたのに、今は都会のコンクリートジャングルの中にいる。眠らない街、渋谷。夜行バスは有り得ないほどに早朝に目的地へと到着するので、適当に忠犬ハチ公前までメトロに乗って出てきた。携帯をフルまで充電…

本当は全然シティボーイなんかじゃない

自分が都会に住もうと思うなんて、3年前は考えつきもしなかった。どこか遠くの田舎の街で、好きな人と幸せに暮らしていくと思っていた。本当は全然シティボーイなんかじゃない。人口50万人弱の地方中枢都市で生まれて、人口10万人強の田舎の港町に移り住んだ…

三月(2)

3年前の春のこと。3月1日卒業式。僕は絶対に泣くまいと心に誓っていたのに、いざ教壇に立つと、感情の蓋は簡単に外れてしまった。動悸が激しくなり、涙が目から次々とこぼれ落ちた。その時の僕はみんなとは違って、まだ進路が決まっていなかった。 * 特…

三月(1)

僕は黄色い電車に揺られながら、芝生の上に露店を出してヨーロッパ雑貨を販売する、隣街の蚤の市に向かっていた。長期休暇に入ると、僕はほとんど人と会わなくなる。といっても、ここまで人と会わないのは大学一年生の夏休み以来だ。一年生の冬には恋人がい…

望まない星の下で

1997年の夏。街の大きな県立病院で僕は産声をあげた。 幼い頃から生き物が大好きだった。両親は遠くへ車を走らせては、僕と妹を自然に触れさせてくれるような人たちだったので、虫網を車のトランクに折りたたんで詰めては、行った先でめいいっぱいに振るった…

星座

オリオン座はもう随分と山の端へと傾いていた。 「就職。この街に戻ってくるの?」 彼女は、この日のために何年も前から準備していたかのようにそう言った。 「いいや。関西か東京に行こうと思う。一度は都会に行った方が、相応な経験を詰めるかなと思ってる…

金曜日、明け方のユーレイ。

緩く、浅い眠りだった。 時刻は午前5時。予定よりも1時間早く目を覚ました。僕は寝間着のまま気怠そうに煙草を咥えて、玄関から裸足のままサンダルを履いてテラスに出た。日中は春の気配が感じられるようになったが、そうは言っても朝方はまだ冷え込む。車…

男たち

風が結婚した。 成人式の日、そんな話が突然出てきた。 「風って、中学の時の?」 別に疑うつもりはなかったのだが、僕はビールグラスを手に持ったまま、反射的に聞き返してしまった。 「そうやで。結婚して、もう娘もおるらしいけん。」 「そっかあ。もうそ…

エンドロールが終わる頃には。

教育実習に行くことを辞めた。まだ辞退の書類を全て送り出していないので、正式には辞めたことにはなっていないが、今後の見通しや自分のキャパシティを考えた結果、最終的な判断は自分で決めた。 ある日突然、荷物が軽くなった。同時に、頂上の景色を拝まず…

特に書く事がないので、100個自分が好きなことを綴る。

特に書く事がないので、100個自分が好きなことを綴る。 01、サッカー 02、自転車 03、料理 04、カレイのエンガワ 06、夕方 07、江國香織 08、川上弘美 09、波の音 10、映画 11、エドワード・ゴーリーの絵本 12、何もない週末 13、お酒 14、夜のベランダで吸…

景観認知症

6年前は確かに生きていたのだ。部活から帰ってきてテレビをつけたら、まるで映画を見ているようだった。平日の昼間なのに、どのチャンネルを回しても同じ光景だった。街が崩れ、人が呑まれ、流されていくのを、ずっと報道していた。 同じ頃、といっても、正…

2017年3月10日/置き手紙

おかえりなさい。冷蔵庫にホワイトデーのお返しが入ってます。新しいティーポットは机の上にあります。帰ってきて、食べるものがなかったらいけないなと思ったので、カップラーメンを買っておきました。合鍵はポストに入れておきます。自分も他人も殺さない…

下書きのドングリ

幼い記憶の中にドングリを植えた。随分と大ぶりのドングリだったので、きっとクヌギのドングリに違いない。芽が出て大きくなれば、カブトムシやクワガタが寄ってくると思ったので、幼い自分のために、線路の脇に植えておくことにした。ドングリを埋め、優し…

昨日の朝、明日は何もしないと決めた日。

本当に今日は何もしなかった。 昼過ぎに起きて、一日の大半をベットの上で過ごした。何かを順序立ててしたということもない。何もしなかったというよりは、誰の視線も気にせずに過ごしたと言った方が近いかもしれない。家事も丸切りしていない。寝癖も直さず…

水夜

耳を澄ませば、夜の聲が聞こえる。 星と月の間を縫い付けるようにして、実体を持たない不確かなそれは、暗闇の中からそっと耳元に語りかけてくる。身を包んだ布団の中でも、昆虫たちが狂うように群がる街灯の下でも、日が西に落ちた後ならばどこでも聞こえる…

北の町で(2)

物語の始まりは、いつだって偶発的だ。それでいて単純だから面白い。 もしかしたら、明日は何かが始まる日かもしれない。今日は何かが終わった日だったかもしれない。街が好きだ。夜道に落ちた寒椿が、街頭に照らされているのを、ただ見つめるのが好きだ。月…

湖畔の側に眠る、敬愛なる絵画。

美術史を塗り替えるような絵画が、モントリオールの東のはずれ、湖畔に近い古ぼけた民家の屋根裏で、微温い陽の光を浴びながら、今日も深い眠りについている。 「ね、A4の紙を何度も折ったら、いずれ月に届くって話、あなたは信じる?」 そんな質問、いつさ…

夜に愛は憑き物

犬は鳴く。いつも独りで。背中に寂しさを喰い込ませたまま。 幸せではいたいけど、適度に不幸でもいたい。独りで死ぬのは怖いけど、誰の人生も邪魔はしたくない。誰の物にもなりたくないけれど、誰かを独り占めしたい。もしも女に生まれたら、ただハイエナの…

AM 4:39 食器棚、青い琺瑯の小皿との会話

食器棚の左奥、街で買った青い琺瑯の小皿が、ひとりでに話しかけてきた。 ずっと見てたの。 お酒、たくさん飲むでしょう。煙草もたくさん吸うでしょう。どれだけ酔っても、どれだけ健康を害しても、自分は殻の中にいるのでしょう。寂しさで気が狂いそうな夜…

一陽来復、揺蕩う寒月。

2019年元旦、少しだけ春の香りがした。 冬の人恋しさにかまけて出てきた話。昔、大好きだった人が結婚した話だとか。 初めは何か遠い国の御伽噺を聞いた時のようにしか思えなかったけど、偶然あの子のインスタの苗字が変わっていることに気づいた時、御伽噺…

抜け殻

また抜け殻をどこかに落としてきてしまった。 歯ブラシだったか、おそろいのマグカップだったか、それともスリッパだったか定かではないが、どこかに落としてきてしまった。たぶんあの部屋なのだろうと若干検討はつくのだが、探しに行くつもりはない。 抜け…

愛と云う名の全て。

日が傾くにつれて雨は上がり、やがて雲の切れ間から満月が顔を覗かせていた。 国破れて山河あり。 いつもよりキツめの煙草を、寒さに負けるようにしてもみ消した。 何も変わってないよな。 ふと、誰に問いかけるでもなく言葉が出てくる。 もう少し楽に生きら…

北の町で(1)

北の小さな田舎町の外れに地獄があるという。 日本海に面したその断崖絶壁の話を、幾度となくメディアで耳にした。地球が人間の生まれる遥か昔、恐竜たちが地球を我が物顔で闊歩する時代から長い時間を経て、その岩肌を禍々しいものに作り上げたという。 そ…

僕らの時代に名前をつけてよ。

「ねえ、年賀状って何枚出すの?」 急にそんな質問が来るとも思ってなかったので、不意に聞かれて面を食らった。水曜2限の授業終わり、徐々に閑散としていく教室の片隅。 「そうだなあ、今年は出さないかも。」 「ふーん、そっか。まあ、今の時代はSNSで何と…