シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

普通

  障がい者雇用施設での宿直のアルバイトを始めて半年が経った。

 半年前は塾講師をしていたのだが、急にシフトの連絡が来なくなり、自然消滅というカタチで契約を破棄することになった。次のアルバイトを探すために市内の求人という求人を漁った。ただ、どの求人を見ても、どの面接を受けても、如何せん自分のような日中は大学生活で忙しい学生を雇ってくれる場所などなかった。金銭的にも余裕がなくなり途方に暮れていた時、友人からの誘いで請け負ったのが今の宿直のアルバイトだった。日給12000円を月10回。月額換算にして12万円。別段、社会福祉や介護職に興味があるわけではなかったが、業務内容はさほど難しくもない。隣町なので通勤に片道1時間半を要する事と、眠れない事を除いては嬉しい話であった。面接も驚くほどあっさりと通った。書類を数枚書き、印鑑をポンと押して契約が成立した。実際にやってみても大して心身的疲労があったわけでもなかった。深夜帯から朝方にかけては見回り以外にすることがない。こうして日記をつける時間もあるし、大学の課題を進める時間も有り余るほどに確保できる。朝方になったら朝食を各部屋へ配膳、食後のバイタルチェックを終えたらタイムカードを押して退勤。講義に向かう。重たい瞼を猫のように擦りながら、真面目に講義を受けた。嘘、少しだけサボったこともある。例え心身的疲労が溜まっても、月頭の給料日が来れば回復した。睡眠時間を削った分に相応の給料が手に入るから。

 施設での利用者さんは3人いる。いつも折り紙に夢中のHさん。新聞を読むのが大好きなMさん。それから素敵な笑顔でいつも冗談を口にする、お調子者のSさん。それから管轄外なのだが、施設の二階に住んでいるDさんとLさん。いずれの方々も自閉症などを抱えた、中年〜初老の男性。施設団体での旅行などの特別なスケジュールがない限りは、ほとんどの方達が決まったタイムテーブルで過ごしている。就寝時間や朝食の時間もキッチリ決まっている。意図的に夜更かしをすることはまずない。

 数ヶ月ほど前、新聞を読むのが大好きなMさんが大阪に旅行へ行った話をしてくれた。施設団体の催しで3日前に行ったという。笑顔で道頓堀の写真を3回くらい見せてくれた。僕は笑顔を絶やさず、他にはどんな場所に行ったのか。何を食べたかなど。朝ごはんの配膳をしながらコミュニケーションを取った。それから味噌汁を机に置いた後、Mさんが不意にまた口を開いた。

「大阪には 昔 お父さんとお母さんと行ったんよ でも お父さんもお母さんも もうおらんけぇ お父さんもお母さんも おらんなってしもうとるけぇ」

するりと抜け落ちるようにしてMさんの口から出てきた言葉は、ふわふわと宙を舞い、空虚な天井に向かって泡のように消えた。僕は返すべき言葉を見つけられなかった。現代の社会福祉や障がいに対する理解や知識は、日々進歩し続けていると思う。ただ、彼らにとっての無償の愛を提供してくれたのは僕たちではなく、紛れもない父や母であったこと。その全てがMさんの口から発せられた言葉の中に込められていた。その翌日、Mさんの本棚の上にいつも伏せられているはずの写真立てが一枚、ひっそりと起き上がっていた。木のフレームの中にはまだ白髪になる前の若いMさんと、その両脇に笑顔で座る御両親の姿がはっきりと映し出されていた。

 喫煙者も二人ほどいる。ただ、施設の規則上、喫煙は御法度にあたるらしい。健康面を考慮した結果なのか、それともハンディキャップがあるからなのか。何れにしても、何らかの特別な理由があるからだろう。なので、喫煙者の方達は隠れて煙草を吸っている。ベランダの隅の方に灰皿を置いたりして。一応、施設の階段の踊り場に喫煙所はあって、僕はそこを利用しているのだが、明朝になると顔を合わせることが何度かあった。自らが喫煙者なので、特に何を咎めることもしようとは思わなかった。自分がしていることを、他人にダメとは言えない。いつも少しだけ挨拶をして、それからは何も言わないようにしている。

煙草のことが少し気になって、いくらか過去の業務日誌を遡った。彼らが生活するを上で、健康に害をきたすような飲食物も御法度になっているらしいことに気づいた。栄養価の低いカップラーメンやエナジードリンクなど。いくらその時に食べたいと思っても、手に入れられないシステムになっている。ゴミ箱の中に御法度とされる空き容器が見つかれば、注意されていた。おそらく、彼らは深夜に映画を見ながら食べるカップラーメンの味、いわゆる「罪の味」というものを、私たちの何十分の一くらいの確率で過ごしているのだろう。別段、施設の運営方針について疑問を抱いたわけではない。利用者の健康管理をしていくのは運営として当然のことだ。ただ、言いようもない複雑な気持ちが、喉元に熱く迫り上がっていた。

 

 このアルバイトを始めて、個人の中で生じる「普通」という概念について色々と考えるキッカケになった。僕たちが思う「普通」とは、自分自身が柔軟にモノ・コトを進められる状態のことを指すのだろう。何かを食べたい気持ち。誰かを好きになる気持ち。それから、どこか遠くへ行きたいだとか。それ自体を思ったり行動したりすることを、誰からも「悪」と認識されない状態のこと。もちろん、社会的規範や法律に則った上での話。

 半年の間、僅かながらでも利用者さんたちと時間を共有した。彼らは、他人より自分自身のことを少し変わっているとは認識しているかもしれない。ただ、微塵も自分自身にハンディキャップがあるとは思っていない。むしろ、たとえ他者と少し変わっていたとしても、自分たちこそが「普通」なのだと。実際に、僕自身もそう思う。利用者さんたちは障がいを抱えてはいるものの、同じ人間であることには変わりがない。夜中にラーメンが食べたくなる時もある。体に害だと思っていても、酒と煙草に身を委ねたい夜がやってくる。それは、生きていれば当たり前の話で、別段悪いことでもない。誰も咎めることなど、本来であればできない。僕たち、私たちはいずれ老いて死ぬ。体のどこかに不調が生じる。歩けなくなったり、目が見えなくなったりするかもしれない。それまでに、結婚や就職、大切な人の葬式。色々な出来事があるはず。人間として生きているならば、普通のことだ。たとえそれはハンディキャップを抱えた方々でも同じこと。体のどこかが悪いからと言って、彼らから「普通」を削ぎ落とす理由になんか、微塵もならない。ならないのだが、彼らはひとりで生きていくことができない。買い物や公共交通機関などの利用は問題なくこなせる。一方、料理はおろか、食器を綺麗に洗うことができない。洗剤をきちんと使ったはずでも、ご飯粒はいつも茶碗の淵に残っている。でも、本人は「普通」に綺麗に洗えたと思っている。そう、誰かが見守り続けなければ、生きていけない。

 

 Mさんにとって、無償の愛を提供してくれたのが、両親をはじめとする近親の人々だったとするならば、他に誰かいたのだろうか。血は繋がっていなくとも、彼のことを心から愛してくれた人はいたのだろうか。とりとめもなく、そんなことも考えた。僕たちはあくまでも「支援」する立場にある。ただ、半年間このアルバイトを続けたことを振り返ると、少なくとも僕がこの街を去るまでの残り一年、「家族」のような存在で居たいとも考えるようになった。年齢的には孫か息子にあたるかもしれないけれど。いいよね。