シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

景観認知症

6年前は確かに生きていたのだ。部活から帰ってきてテレビをつけたら、まるで映画を見ているようだった。平日の昼間なのに、どのチャンネルを回しても同じ光景だった。街が崩れ、人が呑まれ、流されていくのを、ずっと報道していた。

同じ頃、といっても、正確に言えば311の半年前。祖母が他界した。その2週間後に祖父も他界した。百合の花で溢れた棺の前で泣く母と妹を見て、自分は泣いてはいけないと思った。今思えばもっと素直になればよかったものを、母と妹を支えようと自分なりに意地を張ったのかもしれなかった。そのときの父の顔は覚えていない。

記憶の中の祖父はずっと寝たきりで、それを介護する祖母の姿を薄ぼんやりと覚えている。2人の声は忘れてしまった。歩き方も。具体的な実体としての姿は忘れてしまった。それなのに、頭の中ではまだ生きている。

東北という地には一度も足を運んだことはない。あまりにも遠すぎるし、あまりにも無縁すぎる。ただ、募金箱があれば募金をする。自分にもできることがあればする。それくらいだ。

祖父母のために自分は何かできたのだろうか。問いただしても答えは見つからない。

 

Tumblr投稿 2017.3.11