シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

望まない星の下で

1997年の夏。街の大きな県立病院で僕は産声をあげた。

幼い頃から生き物が大好きだった。両親は遠くへ車を走らせては、僕と妹を自然に触れさせてくれるような人たちだったので、虫網を車のトランクに折りたたんで詰めては、行った先でめいいっぱいに振るった。海へ行こうものなら、荒々しい岩場をアスレチックのように登り、岩の隙間からヒトデを捕まえたり、スルメを吊るしたりしてイソガニを捕まえた。ハンミョウ、オケラ、ジャコウアゲハイトマキヒトデ、マダコ、ワタリガニ。たくさんの生き物たちに出会った。

自由研究には、夏休みの間に捕まえた生き物たちの収集記録を作った。標本にするような技術もお金もなかったので、捕まえた生き物たちの写真を撮り、イラストを書いて記録を作った。妹が「海の生き物たち編」で、僕が「昆虫たち編」。夏休みが終わるギリギリ頃になって、泣きながらでも作ったのを今でも覚えている。少し自慢話をすると、小学生一年生から五年生まで、ずっと市内の自由研究コンクールで入選し続け、合計5枚の賞状を頂いた。

そんな虫取り少年が「彼」と出会ったのは小学校二年生の夏、もう少しで市内の土曜夜市も終わりを迎える頃だった。

おそらく、僕と同じ世代の人たちなら分かるかもしれないが、当時はアーケード式のカードゲームが流行の真只中にあった。女の子がお洒落をするゲーム。恐竜が戦うゲーム。僕はその中でも昆虫同士が戦うゲーム、「ムシキング」に夢中になっていた。その影響もあってか、僕は外国のカブトムシやクワガタに強い憧れを抱いていた。ただ、外国のカブトムシともなれば、その価格は国産のカブトムシとは比べ物にならない。一匹15000円の価格で市場に出されていたりもする。加えて、越冬をする種類はさほど多くなく、そのほとんどが一夏の間に死んでしまう。あまりにも高価で儚いその生き物たちを、当時小学生の僕が自宅で買えるはずもなく、僕はペットショップのカゴ越しに、ただ指をくわえて見つめるしかなかった。

そんな時、「彼」と出会った。ある平日の昼下がりの午後、学校を終えて自宅に戻った日のことだった。誰もいないリビング。黒いプラスチック蓋のついた虫かごが、ポツンと机の上に置いてある。中には手のひらほどの黒い大きな物体が、カゴの上部に張り付いている。僕は虫カゴを手に取り、その黒い物体を眺めた。それは長く勇ましいツノを三本持った、一匹の大柄なオスのカブトムシだった。名前はアトラスオオカブト。名前の「アトラス」は、ギリシャ神話の神の名前から取ったもので、赤道直下の小さな島々に生息する気性の荒いカブトムシだ。彼を見た僕は、驚きで声が出なかった。じっと眺めては、虫カゴの角度を傾けたりした。部屋の電気が黒い大きな羽に反射して、高級外車のボンネットのように、キラキラと鋭い光を放った。

そうこうしているうちに母親が二階からリビングに降りてきた。虫かごを見つめて目を輝かせる僕を見た母親は、嬉しそうに理由を説明した。母親が言うには、近所の公園の街路樹に彼はいたらしい。黒く大きな巨体を目の当たりにした母親は、まさか国産のカブトムシだとは思えなかったらしく、自宅に持ち帰ったのだという。まさかとは思ったが、どうやら本当の出来事らしい。その証拠に母親の手には、おそらくは彼がつけたであろう、無数の小さな切り傷が点々としていた。

晩御飯の時間。彼がどうしてなぜ公園の街路樹にいたのかという話になった。僕の実家は、幼い頃から家族全員で晩御飯の食卓を囲むことが普通になっていた(ただ、僕たちが中学に入り部活動を始めると、そういうわけにもいかなくなった)ので、今日の話題のテーマを挙げるとするならば、主にそれがメインだった。家族で話し合った結果、出てきた答えはひとつかふたつだった。おそらく、土曜夜市の夜店にあった昆虫くじから逃げ出したか、当たった人が飼いきれずに逃したか。いずれにせよ、人間が関与して彼を野生に放してしまったことは確かである。自らの望まない星に生まれ、ひとりで命を終えることが予め決まっていたら、どれだけ悲しいことだろう。彼の言葉を理解できるわけでもなければ、彼が僕たちの分かる言葉で話しかけてくれるわけでもない。ただ、彼の黒い真珠のような瞳は、どこか虚ろげだった。

家族で話し合った結果、彼を自宅で最後まで飼うことにした。幸い、カブトムシは国の生まれに関わらず、飼育自体の維持費はそう大したことはない。ホームセンターで腐葉土を買い、十分すぎるほどの広さをもった飼育ケースを買った。昆虫ゼリーを与え、たまに晩御飯のデザートに出た林檎を与えたりもした。昆虫なので、犬のように表情が豊かなわけではないが、当時の僕には彼が喜んでいるように見えた。

彼が飛ばないことに気がついたのは、飼育を始めて一週間程経過した時である。飼育ケースの掃除のために、彼を外に出していた。しばらく父親とケースの土を敷き直したりして、あれこれ夢中になっていた時、彼が細長い木の棒の先端まで登っていることに気がついた。カブトムシは高いところから空へと向かって飛び立つ習性がある。太陽や月に目掛けて羽を広げれば、それは確かに空へ向かっていると分かるからだ。なので、よく街灯などにカブトムシやクワガタが引き寄せられるのは、光る物体を月と勘違いするからである。でも彼は羽を広げなかった。ただ頑なに天井を見つめるだけで、その黒い高級車のような甲殻が開くことはなかった。今なら少しだけ思う。おそらく、彼は飛び方を知らなかった。ペットショップで生まれ、ペットショップで大人になった、養殖された異国のカブトムシ。羽を広げずとも、その勇ましい剣のようなツノを振りかざさずとも、餌は簡単に手に入る。そんな彼が、野生の環境でただひとり、生きていけるはずもなかった。

彼が自宅に一ヶ月ほどの間に、様々なことがあった。彼は外来特定生物ではないものの、本来ならば日本にはいない。それが野生で見つかろうものなら、僕の住んでいる小さな街では相応のニュースだった。夕方のニュースの特番に出演したりもしたし、地元の新聞の一面を飾ったりもした。彼はもちろんのこと、僕や妹も出演したりして、学校では少しだけ人気者になった。実家には今もその時のニュースの録画がビデオテープで残されており、新聞の切り抜きは大切にファイリングされている。母親が博物館関係の人に軽い時事報告のつもりで言った話が、思いがけない大変な出来事だったというわけだ。

そんな寸劇も少々あったが、その年の夏の終わりに彼は死んだ。彼が死んだ日のことはあまり覚えていない。けれど、いつもと同じような夏の終わりの日だった気がする。ツクツクボウシが命を繋ぐために必死に鳴いて、ススキの風に揺られる音が微かに聞こえるような夏の終わり。

僕は父親と一緒に彼を標本にした。標本などその時初めて作ったのだが、思ったよりも綺麗に完成した。いつもなら死んでしまった昆虫たちは土へ埋めるのに、彼のことはそうしなかった。この夏が終わり、秋がドレスを脱ぎ捨てたような冬が来ても、彼のことはずっと忘れたくなかった。ハッキリとした「カタチ」をもって、僕の側にいて欲しかった。もしも彼が望まない星の下に生まれたのだとしたら、僕たちが彼の望んだ星になりたかった。

今でも彼は実家の玄関にいる。黒い大きな甲殻は、高級外車のような光を放つことはなくなり、中古のバーゲンセールに投げ売りされた車のボンネットみたいに錆びついてしまっている。ただ、僕が実家に帰ると、彼とは必ず目が合う。そうする度に、もしかすると今すぐにでも羽を広げて遠くへ飛んでいく気がしてならない。僕はそれを望むし、きっと彼もそれを望む。もしも彼が羽を広げ、小さな街を見下ろしながら自由に飛べたなら。彼は遠く誰も知らない、彼自身が望む星に辿り着けたのだろうか。だとしたら、彼はひとりのカブトムシとして、生き物として幸せに暮らせたのだろうか。彼の望む星が何処にあって、その星はどんな所なのかは知らないけれど、僕もいつか行ってみたいと少しだけ思う。