シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

星座

オリオン座はもう随分と山の端へと傾いていた。

「就職。この街に戻ってくるの?」

彼女は、この日のために何年も前から準備していたかのようにそう言った。

「いいや。関西か東京に行こうと思う。一度は都会に行った方が、相応な経験を詰めるかなと思ってるんだ。」

「そう。不思議ね。あなたが変に尖った鉛筆を握ったあの日から、まるで人が変わってしまったみたいに、あなたはどんどん遠くへ行ってしまう。」

彼女はそう呟いて、まだ誰も知らない遠い星たちを見つめるような眼差を僕に向けた。

「そうかな。僕はいつまでも、スピッツを聞きながら地元を出た時の僕のままで、いつかこの街に帰ってくるだろうと、ずっと思っているよ。何だか可笑しいね。」

「何それ。全然、可笑しくない。」

「そんなことないさ。」

本当にそんなことはなかった。僕はいつまでも、地元を出た18の頃の僕のまま。もっと言えば、枯れ草の焦げたような匂いのする湿気に包まれた原っぱを、自由奔放に駆け回る少年のままだ。もしかすると、僕は彼女とは違う星の下に生まれたのかもしれない。

僕はカウンターの隣の席から、ぐっと手を伸ばして灰皿を自分の席へと寄せた。

「やっぱり、あなたが煙草だなんて全然似合わない。ずっとスポーツマンだったのに。」

「きっとそれはね、昔の僕を知っているからだよ。」

「またそうやって、煙に巻いて逃げるのね。」

「煙草だけに?」

「やめて。全然面白くない。」

相変わらず、彼女は切り捨てるように物を言う。相変わらず、僕は面白くもない冗談を思いつきで言う。ふたりはずっと、制服を着て一緒に帰った頃のふたりのままだった。

「もしも、いつかこの街に戻ることになったらさ、最初は君に知らせるから。」

「永遠に来なさそう。」

「待ってとは言わないさ。」

「言われなくても待たないわよ。でも、そうなったら少しだけ嬉しい私もいる。」

その言葉を聞いた僕は、彼女と同じ星の下に生まれていないことを確信した。

昔の人たちはどうやって星座を作ったのだろう。案外、指で適当になぞってできたものなのかもしれない。違う星と違う星を、まるでひとつにするかのように、ゆっくりと指でなぞる。そんな風に。

「あの…、3年間、本当にありがとうございました。」

必死に考えて、僕の口から出てきた言葉のカタチは、あまりにも空白で飾り気のない白だった。

「こちらこそありがとう。たくさん色々な話、聞かせてくれたね。」

先輩は、はっきりと余裕をもった口調で、軽快に答えた。

追いコンの二次会帰り、終バスを逃した先輩と僕は、歩いて家まで帰る途中だった。

「最近ね。金縛りによく合うの。私、そういうの多くてさ、幽体離脱とかも経験してるのよね。可笑しいよね。」

別れ際になって、先輩は突然そんな話を僕にした。

「ストレスとかではないですよね…?最近、辛いこととかありました?」

「うーん。特になかったかな。本当に何のキッカケもなく突然来るの。自分でもわからないな。」

「先輩が辛くないのなら、よかったです。」

お酒が回って足元がふらつき、色々な言葉が頭の中で駆け巡った。そのせいか、僕はそれ相応の言葉が出てこず、曖昧な返事しか返せなかった。

「私のアパートこれだから。もう大丈夫よ。家まで送ってくれてありがとうね。」

「いえ、帰り道でしたので気にしないでください。大丈夫ですから。」

僕は、本当は二人で歩いて帰りたかったことを、心の引き出しにそっと隠した。

「本当にありがとうございました。お元気で。」

深々と頭を下げて、僕はそう言った。

「こちらこそ、本当にありがとう。きっと、また会う日は来ないわね。さようならお元気で。」

「さようなら。」

先輩がアパートの階段を登り終えるのを見届けて、僕は背中を向けた。

一人になった帰り道。色々なことを思い出した。制服の襟がじっと汗ばむくらいの春だった卒業式のこと。満開の桜が散り散りになって、アスファルトにできるピンク色の絨毯のこと。新緑が眩しいくらいに輝く、五月色の山々のこと。ドレスを脱ぎ捨てた花嫁のような冬のこと。言いたいことなど山ほどあった。先輩にもしも恋人がいなかったら、僕はあの場で、もっとましなことが言えただろうか。もう忘れられたように車のいなくなった高架下で、一筋の涙が流れ落ちた。

きっと、また会う日は来ない。先輩も僕もまた、同じ星の下で生まれていないのだろう。