シティボーイは泣かない。

古い引き出しの奥に、ずっとしまわれていた手紙のような話。

湖畔の側に眠る、敬愛なる絵画。

 美術史を塗り替えるような絵画が、モントリオールの東のはずれ、湖畔に近い古ぼけた民家の屋根裏で、微温い陽の光を浴びながら、今日も深い眠りについている。

 

「ね、A4の紙を何度も折ったら、いずれ月に届くって話、あなたは信じる?」

そんな質問、いつされたのか、忘れてしまった。いつだったろう。ベランダで煙草を吸いながら誰かと月を眺めていた時だったか。高校の時の、何でもない女の子との何でもない会話だったか。夕刻、山の端に人工衛星が落ちるのを見て、不意に思い出した。というか、耳元で確かに再生された。

 

 3年前の春、卒業文集の寄せ書きに、誰からの言葉も欲しくなくて、卒業式まで原稿を机の中に、そっと終い続けるつもりだった。副担任のセンセイが見兼ねたのか、そっと僕に耳打ちをし、背後のロッカーに、僕の卒業文集の寄せ書き欄の原稿を置いた。その後の先生は、良い紙で表紙を作るんだと意気込んでいた。僕は絵を描くことが頭から離れなくて、ただ気を紛らわすために川上弘美の小説を読んでいた。窓の外は快晴、メジロが囀り、飛行機雲が迷いなくまっすぐに伸びていた。

 卒業式の日、手渡された卒業文集の表紙は、薄い翡翠色のレザックだった。肌触りも良かった。単価的には高級紙には程遠いけれど、文集の表紙には充分すぎるくらいだった。文集の寄せ書きに書かれた言葉を見て、心が砕けそうだった。誰でもない人、親しい友人からの温かいメッセージが、徒然と浮かび上がっていた。手書き文字で。

一人、また一人と教壇から言葉を発して去っていったはずなのに、覚えているのは最終回にも関わらず、「先日、宗教勧誘をされた話」をしてウケを狙いに行った友人の話だけだ。これは確実に言えることなのだが、面白かった。

卒業アルバムの寄せ書きは、本当にゼロに等しい。空白が目立つ。書いて欲しい人もいなければ、書いてと頼んでくる人も少なかった。卒業式が終わってからも、ただひたすら、アトリエで絵を描いていた。平面構成。小松菜とCDとロープ。

 

 馬鹿な記憶を思い出したなと、自分を少し嗤った。何かに駆り立てられたかのように、煙草を揉み消した。

できる事なら、あの街に何もかもを置いてきてしまいたかった。もっと言葉で聞きたかった。卒業文集に書かれた言葉の真意なんかはどうでもいい。ただ、その言葉を、確かな肉声で聞きたかったなと思い、バラバラに心が砕け散った。

 

いつか、僕がシャッターを切ることに躊躇いを感じることが来るのだろうか。

 

見ている世界に疑いを感じることが、「美しい」という感情に愚かさを抱くことが。できればそんな未来、来て欲しくはない。誰も望んでいないと信じたい。A4の紙を何度も折ったら、いずれ月に届くかどうかが本当かなんて、僕は知らない。ただ、月に手を伸ばしても届かない事は知っている。そんな事は百も承知だ。だけれども、届かないと分かっていても、月に手を伸ばし続ける人生は悪くないかなと思う。ジョー・ストラマーだ。

 敬愛なる画家よ、僕らの文明が滅んだ後にあの絵画は、安息の地で、長い眠りから目覚めるだろう。

 

 

−あとがき−

視線だけで気持ちが伝われば、楽な事はない。だが、人類はそう単純にはできていない。「愛」のイデオロギーなど、価値観、文化、郷土、ジェンダー、人種、様々な要因で、いくらでも崩壊する。言葉は強いから、人を生かすことも殺すこともできる。どれだけのメタファーで包まれていようが、イデオロギーの某弱さの前に屈服する。或いは全てが燃え尽きるまで、闘争をする。

もしも今、伝えたい気待ちがあるのなら、良くも悪くも、言葉にする。言葉の賞味期限が切れてしまう前に。